赤線を引く

 

ユーモアのある文章が好きだ。ユーモアというかおもしろみ。自分が好きなのは子供の目でじっと観察してるような類のものだ。多分に本質的だから好きなのだと思う。「そうか」とか「なんで?」と常に子供は思っている。頭の中を隠さず飾らず、本音を文章にする潔さに惹かれる。

ああ、おもしろいなという文章には赤エンピツで線を引く。ボールペンだと紙の裏にすけてしまうから、赤エンピツで力をかけずに引くのが丁度いい。
そうしてそういうふうに線をひかれた本がいくつかある。
新美南吉童話大全、太宰治/富嶽百景、宮田珠己/晴れた日は巨大仏を見に、塔島ひろみ/車掌文庫シリーズ、町田康/告白、など。

あからさまに笑わそうとしているのではない、派手でもない、たんたんとした中に塗り込まれた切ないようなおもしろみ、そして文章の上手さ。自分にとって好きな文章に出くわしたときは、大きな金鉱を見つけたのに(見つけたことないけど)匹敵する幸せだ。ただただ、けなげでアホらしくてかわいらしくて、でも真剣な、人の頭の中とその営み。本質的なものはただ可笑しく、ちょっと切ないのだ。
今は佐野洋子の「シズコさん」を赤エンピツ握りながら読んでいる。幸せ。

文章はすべてがつながっているようで、時系列的に精神的に突拍子もないところに飛んだりして、自由自在なところがある。音楽も壮大な組曲となると共通する部分があるかもだが、個人的にいろいろと詰め込んだ音楽は蒸し暑い気がして好きではない。おもしろい文章の肌触りやノリみたいなものがさりげなく盛り込まれているような音楽に惹かれる。

巷に溢れる音楽にも、赤線を引きたくなるようなのがたまにある。メロディのここが上にも下にもいかず、そのままでいる、だから、ここ赤線。というように。赤線の部分が多ければ、ああこの曲好きだ、となるが、音楽の場合は一箇所とてつもなく太い赤線が引かれたなら、それはいい曲なのかもしれない。

 

自分の作った曲はどうか。
赤線を引きたくなるところは、実はある部分のメロディやコードだけだったりする。でも、初めて作ったCDの中に入ってる「半分本当」という曲は自分で赤線を引くところがけっこう多い。

 

自分で赤線を引いたところが、聴いた人にとっても赤線だったら、それはうれしい。だけど、まず大事なのは、自分で聞き返してみて「あ、ここ赤線」と思えるような曲が書けるかどうか、だ。