見つめ合う

 

 見つめ合うということは難しい。ここで言う「見つめ合う」とは、無言で相手の顔をじっと見ている、ということである。恋人同士であっても、無言で見つめあうのは照れくさい。まして仕事関係、たとえば上司なんかとじっと見つめうなんて想像しただけでもいたたまれなくなる。街で肩がふれあって、知らない者同士見つめうというより睨みあうというのも出来るだけ避けたいものだ。とにかく人はただ見つめあうということには耐えられず、何かをしゃべらないでは人の顔を凝視できないのだ。
 ところが、である。ただ見つめあえる対象が世の中に存在するのだ。それは赤ん坊。街を歩くと、親の肩越しにじっとこちらを見つめる赤ちゃんと出会ったりすることがある。すでに向こうから一歩も譲らないガンを飛ばしてきているのだ。そんなときはこちらもここぞとうけてたつことにしている。相手が赤子だと何を話そうと気をつかう必要もなくじっと無言で見ていられる。無表情でも大丈夫だし、こちらの気分のままに笑いかけたり、しかめつらをしても平気だ。そんなふうにじっと赤子の顔を見ているのは味わい深いものだ。口が半開きだったり、指をしゃぶっていたり、鼻をぴくぴくさせたり、よだれをたらしたり、その顔は様々だが、人間の原点というか、元素むきだしのような顔はずっと見ていてあきない。と言って、なかにはなかなかあなどれないのもいる。すでに営業部長のような雰囲気をもつもの、センパイ!と呼びたくなるような頼りがいがありそうなの、ひとくせありそうな画家のようなのもいれば、以前に会ったことがあるようななつかしい顔のもいる。さらには抱っこされながら、すでに隠居してるようなのもいる。とにかく彼らの目は一点こちらの目を見ている。ぼんやりしてるようで明晰なような、不思議でいっぱいのような、すべて分かっているような、期待しているような、あきらめているような、そんなまなざし。親に不審がられないよう気配りして、いつまでも見ていたい。


 そもそもこの相手の「目を見る」というのは不思議だ。なぜ目を見るのだろう。これは人間のみならず、猿でも犬でも猫でも、カマキリでもザリガニでもこちらのの「目」を認識し、ちゃんと見ている。生き物同士が出会ったら、本能的にをその生き物の肝として目を認識し、、目と目でもって両者見つめあってから、逃げるなり近づくなり、それぞれ対処の仕方を計りあうのであろう。
 赤ん坊と見詰め合っている分には、とりあえずは逃げる必要はない平和な時間だ。いいキャラの赤ん坊と出くわしたらトクしたような嬉しい気持ちになる。じっと赤ん坊を見てるだけの職業があったらな、と思う。