「石割の湯」の小津組


山中湖が好きだ。そこには山中湖と富士山しかないから。河口湖みたく観光バスがいない、土産物屋がない、結果、わさわさしてない。湖畔に車を気楽に停められて、サイクリングやミニトレッキングを楽しめる。情報創造館という明るくウッディな図書館で本も読める。そして締めに湖畔から少し入った石割の湯に浸かる楽しみもある。

山中湖へは、以前は東名御殿場インター経由だったが、このごろは高速を使わず413号線で行っている。緑豊かな道を走ると、ぬっと富士が顔を出すポイントがあり、その素っ頓狂な高さにいつも驚く。富士はいつだって想像以上に大きいのだ。

さて、真夏の湖畔散策を終え、この日は石割の湯に15時くらいに行ってみる。ぬるい露天風呂はけっこう盛況で、長方形の木の風呂におじいさんに近いおじさんが数名のんびり湯に浸かっていた。空いた場所に入れてもらうとすぐに、僕の横にいるおじさんが、なにか場をしきってる感じなのが分かる。

 

おじさんは山登りのポイント、注意事項を湯に浸かりながら静かにまわりのおじさんたちに話していた。僕の向かい側の痩せたおじさんが丹沢で遭難しかかったらしく、それについておじさんがアドバイス。「道に迷ったら、ぜったい沢に降りたら駄目。稜線を目指すんだよ。そうすっと絶対道にでるから」ちらとおじさんを見ると、顔つきや眼差しが映画監督小津安二郎に似ている。これは、小津組だ、小津組と風呂で一緒になった、そう思った僕は、小津組の構成員を改めて確かめてみる。遭難しかかった人は気の良さそう&弱そうな表情で、この人は照明さんだ。その左でタオルを頭に乗せて湯に浸かり、小津の発言にさっきから一番頷いているのは助監督、照明さんの右横で黙って片膝抱えて話を聞いているちょっと気むずかしそうなのは美術さん、と割り振り完了。

さて、照明さんは道に迷った際、沢に降りる一本のロープを発見、こんなところにロープがあるってことは、ここを降りろってことじゃないかと思った、と切り出すも「でも、結局降りなかったんですけどね」と続き、「なんじゃい」と心の中でずっこける。


小津は「それでいいの、それでいいの、沢には降りちゃ駄目。川は危ないの」と自信たっぷり、人を寄せ付けない、しかしあくまで穏やかな口調で話す。またも大きく頷く助監督に、変わらず無表情な美術さん。しばしの沈黙のあと、小津は「このごろ、夜中に目が覚めてねぇ」と話題を変える。「何時ごろ目が覚めるんですか?」とすかさず助監督。「三時には目が覚めるねぇ、寝るのは10時頃」。「けっこう寝てるじゃん」と心の中で僕。「だけど、ものすごく体を使った日は朝までよく眠れるの、ものすごく体を使った日は」と小津。この発言に対し、珍しく助監督はじめ各人の反応がない。幾分あせった監督、「ものすごく体を使った日はよく眠れるの」と、念押しリピート。ははーん、これは下の話か?と次の小津監督の発言を待っていると、「山歩きした日なんかはね」ときた。気をまわし過ぎた。小津組一行は最早枯れているのだ。

 

そのとき、意外にも、それまで無言だった美術さんが「それは無理でしょ。体が疲れてても絶対途中で目が覚めるでしょ」と幾分反抗的に発言。これに対し、助監督も照明さんも、うすく頷いている。年をとると長くは眠れないのだ。僕だってそう、連続6時間くらいしか無理、と同じくうすく頷く。このあと入眠剤の話になり、小津監督以下、ほとんどが頻度の差こそあれ使っていることも判明。そこで、じゃお先と照明さんが湯を出て行く。

 

かなり長い沈黙のあと、今度は小太りのおじさんが入ってきて、照明さんのいたところに浸かり、場をしきりだす。この人は木下恵介にする。木下監督は美術さんと旧知らしく、盛んに美術さんに話しかける。美術さんが饒舌になった分、今度は小津監督が完全に沈黙。次回作の構想を練るかのような、遠い目線になっている。木下監督の話はあまり耳に入ってこなかった。それは声が小津監督ほど大きくいのと、語り口の妙が小津監督ほどではなかったから。

小津組の面々と木下恵介、みな山中湖近辺の富士山好きな住民と見た。山中湖あたりにいつか住みたいとうっすら思っている僕は、また会うことがあるかも、と思いながら露天風呂を出た。


石割の湯は、地元の新鮮な野菜や果物もロビーで売っていて、なんか買って帰るのも楽しみだ。この日は、梅干しと一つ100円の桃にした。桃を家で冷やして食べると美味しいこと!「献身」という言葉が浮かぶ。桃みたいなものがどうしてこの世に存在してるのか、感謝の気持ちでいただく。

 

桃もいいが、とにかく富士山と山中湖の存在が大好き。生きてる間は噴火とかしないでね。