絶妙の四月二日
近所の遊歩道を自転車で走りながら花見をした。
ず~っと桜が続いているこの道、ほう、と何度も自転車を停めて眺め入る。
桜は花自体は地味だ。咲いている姿、風情に味がある。群れて咲いている桜は、木それぞれが、他に気をつかいながら実にうまく枝を伸ばしている。時に曲芸みたく交叉する枝を見ていると、気をつかうというより、枝、伸ばしたいんです!好きにさせてもらいます!っていう止められない意志を感じる。桜はすごく咲きたがってる、と思う。
一方、一本孤立して咲く桜は、凛とした佇まいのものもあるが寂しげなものもある。
桜見物には背景や他の素材も重要だ。視野の半分を青い空にして見上げてみたり、またその空を雲入りにしてみたり。腰を屈めて桜並木を左右対象にステレオに見ながら、その中心によちよち歩く幼児のうしろ姿を置いたり。
桜を愛でる人々は一様に穏やか。そんな穏やかな顔々を眺めるこちらも穏やか。
と、ふと、深刻そうな顔をして桜ではなく地面を見て前から歩いてきたおばさんが、すれ違いざまにこう言った。
「先に手を打っておけば良かった」
はっきり聞こえるくらいだからわりと大きな声であった。
どうやら、そこにはいない旦那に関することで、となりを歩く友人らしきおばさんにくどいてるているふうだった。声の感じから深刻な病気などに関することではなく、なにかで損をしたような、旦那を責めるような気配があった。手を打たなかったばかりに桜の下で責められる旦那が不憫になる。
電線工事のような三名グループが並木の下でなにやら作業している。
「最後、おれが緩めたらぶらさがって。責任重大だよ」
と、不安しか与えない言い方で先輩らしき人が後輩に指示。後輩は力なく返事して、一本の木に近づいていく。その木を見上げてみればかなり高い枝にひとり作業員がワイアーを持ってしがみついている。どうやって登ったのか、何をしようとしているのか、ちょっと知りたくなり、先輩に聞いてみようかなと自転車に跨ったまま自分にしては精一杯のフレンドリィーな視線で見ていたら、「あ、通行できなくなりますんで」と先輩にやんわり「あっち行け」を言われ、後輩が無事ぶらさがることを祈りつつ、そのまま立ち去る。
その先に、ひときわ咲きっぶりのいい桜を発見、自転車を停めて見上げていると、
すぐ近くに車座で花見中の前期高齢者グループ約十名の話し声が聞こえてくる。
「足が大きいのに背が伸びないのよ」と、紅一点の女性の声。
「24センチもあるのよ」ここで、小さく「そりゃ大きいね」と男性の合いの手が静かにはいる。気遣いの人か。
すると、「29センチの靴がないんだよ」と別の男性が切り出し、話がいきなりパラレルになる。
「どこいってもないんだよ、ゴルフファイブに行っても、それからなんだっけ、あの、あの、山の、あの・・・」
「好日山荘」と気遣いの人の合いの手が入る。「そうそう、好日山荘」
「24センチもあったら、そりゃもっと背が伸びると思うわよ」パラレル会話は続く。
足のサイズが24センチと29センチなのは一体誰?と思いながら、桜を見上げていると、一人の男性が収拾するようにこう言った。
「とにかく絶妙の四月二日だね」
この日は風もなく晴れ渡り、いい日和だった。花見にはもってこい。
ほんと絶妙、と思いながらまた自転車を漕ぎ出した。