恐怖の「中央フリーウェイ」

 

 生きていく上で怖いことってけっこうある。交通事故、理不尽な暴力との遭遇、空気感染、最近では屋久島行きの船が春一番の暴風に巻き込まれ洒落にならないくらいの大揺れになったのが怖かった。これらは外的事柄だが、内的な怖いこともある。それは自分がコントロールできなくなること。一般社会人レベルの大抵のことはコントロールできるのだが、ごくたま~にコントロール不能の事態に陥ることがある。すなわち笑いが止まらなくなるのだ。

 笑ってはいけない場面、というのがある。葬式とか会議中とか。僕の場合はステージ上だ。かるく笑みを浮かべるくらいは良いかもしれないが、本格的に延々と笑い続けてしまうのは、やはりまずい。それもシリアスな曲だったらなおさらのこと。
 
 以前京都でボサノババンドをしてたとき、なにかのライブで、ドラムの人と目があった。この人はいつも湯上りのように顔が上気していて、赤ちゃんが湯上りに首まわりにパタパタするベビーパウダーが似合いそうだなと常々思ってたのだが、この日の演奏中、ひょんなことからこの人と目があった。やはり上気した顔なのだが、この日はなにやらにやっと笑ってきた。僕も思わず笑い返したが、この意味不明の笑いの連鎖がこの日はなぜか止まらなくなった。どちらか一方が素に戻ればまだ事態は回復できただろう。だが、お互いに笑いが止まらなくなりあきらかにやばい感じになってきた。ドラマーの顔はさらに上気していて本当にベビーパウダーが必要なくらい汗をかいている。しかも曲は忘れもしない、シリアスなボサナンバー「おいしい水」だ。シリアスに歌っているボーカルの姿、神妙な他のメンバーの姿、「アグァジュベベ~♪」・・・。「ジュベベって・・・」とすべてが笑いにつながった。一般に笑いは愉快な感情だ。だが笑いが止まらないのはまさに恐怖だった。真っ赤な顔で、またぐらに顔を突っ込むように下を向いて演奏したのだった。

 それから10年余が経ち、先日名古屋のホテルでのかなり大きな某パーティーでのこと。曲は「中央フリーウェイ」だった。この曲は日頃終盤の盛り上げ時に演奏することが多いが、山本潤子さんのファンは内面で盛り上がる人が多いため手拍子こそあれスタンディングにまでは至らない。しかしこの日はお酒も入った席であり、場内は既にかなり盛り上がっていた。そして、それは曲の間奏時に起こった。軽快なビートにのせて、いきなり僕の視界左から、つるっぱげ紳士が両手を水平にひろげてコマのようにくるくる回転しながらインしてきた。それは安定してそうで不安定なコマの動きをしながら、ステージと客席間の空間にメビウスの輪的軌道を描きながら居座り踊っている。
 ご陽気なお客さんだなぁと微笑んだとき、僕の右視界に入ってきたのは、それに呼応するかのように両手を広げて軽快にステップをふむ潤子さんの姿。この両者の姿が視界の中で合わさったとき、猛烈な笑いマグマが僕をおそった。潤子さんは、いつもこの曲の間奏で軽快にかっこよく踊る。だがこの日はいつもの水平に両手を広げて踊る姿が、つるっぱげ紳士と見事にシンクロしてしまった。それにふたりとも顔はすごくにこやか。なんともシュールな空間と化した場内。蛸踊り、回転ベーゴマ、案山子踊り、アホくさ・・・、と様様な単語が頭に去来し、笑いマグマにがんがん油を注いだ。
 でも、この日は基本的にパーティー。普通のコンサートではないのに救われた。結局僕の笑いは曲の終わりまで続いたが、客観的に不自然ではなかったろう。だから本格的な恐怖にまではいたらなかったが、笑いが止まらない=自己コントロールができない、というのはやはり怖いなぁと再認識したのだった。以後、「中央フリーウェイ」は要注意曲になっている。