手を振るという行為

 

 先日乗った石川小松空港から羽田に帰る飛行機での機長アナウンスがなかなか良かった。離陸後しばらくしての「着陸時にお台場上空で旋回しますが予定の飛行なので心配はありません」。着陸間近で高度がだいぶ落ちているのに、かなりの急旋回をされるとヒヤリとする。こういう乗客の気持ちに配慮したコメント。なかなか親切だなぁと思った。そして、無事着陸してからこうアナウンスが入った。「どうぞお元気で素晴らしい仕事、素晴らしいご旅行を」そして「コックピットから手をふって皆様を見送っております」と穏やかな口調で機長の声が聞こえた。

 機をおりるとき、すぐ前をおばさん連れが「なかなかないわよねぇ」と言いながら歩いていたが、タラップ口にくると「あっ、ほんとに手をふっている」と手を振り返した。確かにコックピットから機長が手をふっている。僕も小さく手を振り、なにかうれしいようなしみじみした気持ちになった。機長の言葉は、単なるリップサービスではなく、氏が仕事を楽しんでいる心がそれを言わせてるような気がして、それが良かった。

 僕はそのまま荷物受け取り口に向かいながら、「着陸後の機長って案外ヒマなんや」とも思いつつ、手を振るという行為について考えた。春に屋久島の港から大型船で出港するときに、タグボートが港外まで先導してくれ、その様子をデッキから眺めていた。沖へ出て、牽引していた器具をはずし終わるとタグボートの乗組員が大きく手をふった。この瞬間、反射的にジンときて自然に僕も大きく手を振った。デッキにいたほかのお客さんたちも同じく大きく手をふった。タグボートはそのまま港へと帰っていく、乗組員は大きく手を振り続けた。僕は手を振りながら、なにか泣きたいような気持ちになった。

 小松からの機長も、屋久島のタグボート乗組員も、もう二度と会うことのないであろう人たち。面と向かって話せと言われても話すこともそうないだろう。でも、彼らが手を振ってくれてるという行為がなぜこうもジンとさせるのか。それは、人それぞれ、なんやかんややりながら旅に出たり動いたりするけど、結局自分の場所に帰っていき、それぞれの場所でなんとかやってる、そしていつかはみなさようなら、という、この世の人生を象徴しているから、だと思った。人生は旅。人生を終わるいつか、脳裏に浮かぶのは、何人かの心に残る人たちが手を振る姿なのかも、と勝手に想像している。でも、誰も手など振らず、皆無表情だったりして。