初バイトと麦茶

 

初めてのバイトは高2の夏、大丸百貨店のお中元配達だった。

朝、自分の自転車で、家から4キロほどの集配所に行き、荷台にずっしり大きい茶色の箱がくくりつけられた配達用自転車に乗り換える。贈答の品を箱に積み込んで、土地勘のある自宅付近に戻り、えっちら配って回るのだ。昼に営業所に戻って、もう一度積み込み出動、そして配達。地元と営業所を通勤を入れて一日三往復、炎天下の中、都合24キロを自転車で走っていたことになる。若いって素晴らしい。

 

重いサラダ油や飲み物詰め合わせは配送車が担当し、こちら自転車部隊はもっぱらタオルセット、小さめの調味料セットなどの比較的軽い物。それでもけっこうかさばるから一度に持っていけるのは20点ほど、それが二回だから一日に40個。バイト料は歩合制で、一個運ぶと50円がもらえたので日当2000円の仕事になる。それでも昭和の高校生にとっては一日働けばLPレコードが一枚買える!、と嬉しかったのだ。

 

自宅付近を配って回るので、知った家にも行くことになり、当然知ったおばさんが出てきて「えらいねぇ」と褒めてもくれたが、こっちは褒められて嬉しいより、恥ずかし い気持ちが強かった。「見直したわぁ」と言ったおばさんもいた。だいぶと低く見られていたのだ。

さて、ここでクイズ。配達する方も受け取る方もいちばん嬉しいのは何でしょう?

はい、答えは商品券です。こっちは軽くて運搬がラク、むこうもたいそう嬉しいらしく、タオルセットなんかとは大違いな輝く表情で迎えてくれた。

 

さて、汗だくで玄関先で受け取りのハンコをもらって帰ろうとすると、ちょっと待って、と冷えた麦茶を出してくれたおばさんがいた。今みたいにお茶をボトルで買って携帯するってことがない時代、ごくごく飲み干したその美味しさったらなかった。そしておばさんの心遣いがとても有難かった。しかし、なかには、お茶はお茶でも熱い緑茶をお盆に載せて出してくれたところもあった。一種の拷問のようにも思いつつ、それを汗、倍出しで、玄関に突っ立ってすすっていた純情な僕。

 

実働15日、総運搬個数600個、自転車総走行距離360キロ、総収入3万円という僕にとっての初バイド、初稼ぎだった。このお金で、僕はLP数枚とギターのエフェクターを買ったのでした。また、バイトが終わって、ちょっと遠回りして当時片思いしてた女の子の家の前をこっそり通って帰ったこともこれを書いていて突然思い出した。


以後、僕はこのときの麦茶の美味しさと嬉しかった気持ちが忘れられず、引越し屋さんなど、汗をかいて作業してくれた人には必ずなにか冷たいものを出すことにしている。今日はクーラーを付け替えてもらった。いきなりの酷暑の中、もくもくと作業してくれたふたりの初老のおじさんに、作業終わりを見計らって冷えた麦茶をだした。おじさんたちはごくりと飲み干し、にっこり笑って水滴のついたグラスを返してくれた。

 

まだ梅雨は明けないがもう完全に夏だ。