幸せの報告

 

腰やひざの痛みで、いつもしかめ面をしている90才になる母が、
ときおりとびきり嬉しそうな顔を見せることがある。
それはいいウンチがでたときだ。
いつもの「コロコロのヤギ糞」ではなく、「ウンチらしい、しなやかな」ものが出た、というトイレから出たての母からの報告を受け、良かったね!と心底思う。
いつか母がいなくなったときには、この嬉しそうな笑顔を思い出そう、などとまだ目の前にいる母を見て思う。

 

思えば、こどものころ、太筆でまっすぐ書いたような会心のうんちがでたときには大声で姉を呼んだものだ。
このまま流すのはもったいない、誰かと幸せを分かち合いたい。その相手は姉だった。
姉はその時していた何かをおいて、弟の呼ぶ声に応えてトイレまでやって来、おお!と驚きの顔でもって幸せを分かち合ってくれた。


こんな「幸せの報告」ができるのが実際見るかどうかは別にして、家族というものなのだ、とひとり暮らしの今、思う。

 

とにかく、いいうんちが出るってことは幸せなことだ。体を動かし→腹が減り→美味しく食べ→眠くなる、の健やかなサイクルがあってこそだから。

コロナがなんだ、幸せはいつも身近にある。