阿蘇の朝

 

泊まりがけで仕事に行くことがある。そのときの楽しみは、何と言っても朝食だ。一番好ましいのはお膳で出てくる和食。品数は多くなくてもよい。梅干と玉子焼きと海苔と納豆、それに冷えてない地の新鮮な焼き魚などがあれば最高。景色を眺めながらゆっくり静かに食べられたら言うことはない。

 

散歩好きなので、朝起きたら、まず宿泊先周辺を散歩してから朝食、というパターンが多い。

だが、温泉好きでもあるので、宿泊先が温泉旅館ならその限りにあらず、まずは風呂だ。つい先日の阿蘇がそうだった。五時半に目が覚めたので(すっかり老人)、六時からやってる露天風呂に行く。キンモクセイの香りがそこはかとなく漂っていて、おおラッキーと思って湯に浸かっていると、初老男性三人組が入ってきた。そのうちの一人が湯につかるなり「おっ、キンモクセイですな。私、今のうちに田舎の家にキンモクセイの木を植えようかなと思ってます」と話す。あとのふたりはこのおじさんの計画に対して無反応だったが、僕は心のなかで「それはいいね」とうなずく。「キンモクセイは鉢植えにはできないのでね」と続ける男性に、「ほう~そうか、ちょっといいこと聞いた」と心の中でメモする。

 

部屋に帰って、散歩に行こうと服を着るが、朝食の時間が9時には終わるとのことで、朝食をまずと思って七時に会場に行ってみる。朝食は和洋バイキングだった。入り口でプレートを渡され、帰るときに係員に渡すようにとの指示をもらった。このプレートをとりあえず空いてるテーブルに置いて、オレンジジュースとクロワッサン二個をとってくる。なぜ好きな和食メニューをとってこなかったかというと、前日の夕食が和食バイキングだったのだ。朝食メニュー豪華版という感じの内容で、トマト、ひじき、茄子のお浸し、しそごはん、などなど、最高においしかった。たらふく食べて最後はぜんざいまでおかわりしたので、おなかはそれほどすいておらず、風呂上りのオレンジジュースを主体にと思って朝食に臨んだというわけ。

 

100%オレンジジュースがなかなかおいしくおかわりをして飲んでいると、突然「このへんやったはずや!」という大声が近づいてきた。大阪のおばちゃんとその一味だ。この日は連休ということもあり、かなりの人が宿泊していて朝食会場は早くからわさわさしていたが、大阪からの団体も来ていたのだ。僕は大阪出身だが、大阪弁を話す女の人というのが苦手だ。とくに観光地や交通機関内で聞くボリューム上げすぎの大阪弁が。以前、知床遊覧船に大阪のおばちゃんの団体と乗り合わせ風情ゼロになったこともあった。さて、この大声は、ついには僕の横のテーブルにたどりつき「やっぱりここや、ここにかばんおいたんや!」と大阪のおばちゃんが仁王立つ。

 

その窓際の四人がけテーブルでは、上品そうな女性三人組が静かに食事をしていて、のこりの一席にはかばんが置かれていた。大阪のおばちゃんは、プレートを置かずに、自分のかばんを椅子に置いてバイキングをとりにいって帰ってきてみたらテーブルが占拠されてた、ということらしい。食事をしていた女性のひとりが「プレートがおいてなかったもので・・・大丈夫ですか?」と当惑気味に言うと、大阪のおばちゃんは「大丈夫ですけどぉ・・」とちっとも大丈夫ではなさそうに答える。が、もう食事を開始している女性三人組をどうすることもできず、連れに促され、ほかのテーブルに移っていった。女性三人組は気まずそうに食事を続けた。

 

食事を終えて、阿蘇の外輪山を眺めながら歩きだす。小台風みたいな大阪のおばちゃんに朝から遭遇したあの三人組はサイナンだったな~、と考えながら。でも、と思う。考えてみれば、椅子にかばんが置いてあったら普通その席テーブルにはプレートはおかないだろうな、と。上品そうな女性三人組に気配りが足りなかったのではなかろうか。だいたいがプレートがテーブル使用のサインになると係員ははっきりと言わなかったし、大阪のおばちゃんにしたらかばんを置くことこそ立派なサインと思ったはず。サイナンだったのは大阪のおばちゃんだったのかも。

 

小高い丘までたどり着き、そこから見渡した阿蘇の山々は壮観だった。すこし冷たい秋の風が心地よい。高校の修学旅行で長崎から阿蘇に入り、草千里でフォークダンスしたなぁと思った。あのとき一緒にダンスした女子達はどんな大阪のおばちゃんになったのだろう。