山寺にて

 山形にイベントの仕事で行った。本番の前日に現地入り、前乗りというやつだ。夕食は鰻の白焼き&鰻ごはんがめっぽう美味しかったが、食べ終わってからテー ブルわきにある山椒の壷に気がつき、これが一点悔やまれる。イベントの主催がワイン会社ということもあって、美味しいワインもたくさんご馳走になった。横 で山本潤子さんが盛んにワインを振舞われて飲みまくっている。潤子さんは、勢いよく飲んでいたかと思うと、急にぶっ倒れてしばらく動かなくなることがたま にあるので、今日はこのパターンかと覚悟したが、そうはならず自力でホテルに帰ることが出来てよかった。

 翌朝六時に目が覚めて、ある計画がひらめいた。それは、以前から興味があった山寺に行ってみること。山寺は山の急斜面にへばりつくように建っていて、中国 の仙人でもいるような、映画カンフーパンダの舞台の如きイメージ。フロントに問い合わせると7時15分山形発のJR仙山線で山寺駅まで30分弱とのこと。10時にホテル出発なのでどうしようかと思ったが、とりあえず駅に行ってみると、いい具合に帰りの電車もあることがわかり、そのまま行って見ることにした。


 地方の在来線に乗るのはそこの住民になったようで楽しい。朝の電車には付き物の眠そうな若者と健康そうなおばさんが散らばる車内に腰をおろし景色を眺めて いると、案外すぐに山寺駅に着いた。ホームからいきなり山の頂上に社が見え、ほうあれかぁ、とひとり歓声を上げる。あそこまで昇るのはかなり時間がかかると思われたので、このまま引き返そうかとも思ったが、とりあえずは八時開門の登り口山門にまで行ってみた。山のふもとには、いくつかの寺があり、根本中堂 という歴史で習った寺もあった。芭蕉が「閑さや岩にしみいる蝉の声」としたためたのはここ山寺らしい。十月で蝉は最早いないので、目を閉じて、心の中で蝉の 声を鳴らして気分を味わってみる。ミンミンゼミとツクツクボーシの2パターンをやってみるが前者がしっくりきた。

 八時になり係員に聞くと、山門から一番上にある奥の院まで往復1時間でいけることがわかり、帰りの電車にも間に合うことも判明、さっそうと登り始める。な んでも頂上の奥の院までは1015段あるそう。一段一段ていねいに登っていくとご利益があるらしい。杉木立に囲まれた石段を登っていく。空気は澄み、朝の 木漏れ日が気持ちいい。来て良かった、シアワセ!と思ったのは束の間、そこは急な石段、疲労が襲ってくる。と、うしろから、「これはきついねぇ」と声がし た。白ジャージにジーパン姿のおじさんだった。そうですね、と会釈する。おじさんは酒がちょっと入ってるかのような口調で実際顔も赤かったが、なかなか元 気にずんずん先へ登っていく。さらに昇るとそのおじさんが、熱心にある岩を見ている。それは弥陀洞という阿弥陀さまに見ようによっては見えるという巨大岩 だった。だが、おじさんは阿弥陀を見つけようとしていたのではなく、その岩面に無数にはりついた一円玉やら五円玉(お賽銭か)を眺めており、目が合うとへ へっ、と笑って立ち去っていった。

 力をふりしぼって登り五大堂にたどり着く。駅から見えた社はここで、ここを目指し登ってきたのだが、意外にも殺風景なただの展望台だった。でも、眼下には山寺 駅、集落、山々というこれぞ日本の秋!という景色が広がっていて満足。ふと横を見ると、少々肥満気味のおばあさんがへたばって腰を下ろしている。そうして傍らにしゃがむ孫っぽい少女から、励ましとも非難ともつかぬ口調で言葉を浴びせられていた。「一段一段登っていくんだよ!、いいことあるんだよ!」と。どうや らおばあさんが、ここで限界、これ以上は登れぬと弱音を吐き、孫が励ましている図らしい。おばあさんはねぇ、しんどいんだよ、と思いながら僕ふきだした汗 をぬぐい、ついでに着ていた上着を脱ぎ、かぶっていたハンチング帽をとった。頂上の奥の院まで、あと少しだ。

 

 手提げかばんに上着と帽子を入れ、五大堂からもう少し上にある奥の院に向けて登りだす。休憩したせいか足取りも軽い。ほどなく奥の院下の石段にたどり着く と、上からあの白ジャージのおじさんが降りてきた。もう二回も会釈を交わした仲だ、「お先ぃ」とでも軽く声をかけられるかなと思ったが、違った。すれ違い ざまにおじさんは、一歩脇にのいて「おはようございます!」としゃきっとした口調で言い、丁寧におじぎをしたのだ。挨拶の口調は伝染する。僕もしっかり、 朝の挨拶を返す。そのまま登り、やっと目指す奥の院に到着。工事中の白幕がかなりの部分を占めていささか興ざめだったが、ここで今しがたの出来事を振り 返ってみる。


 あの赤ら顔でいい調子だったおじさんの態度が激変していた。奥の院参拝を経て人格が変わったのか?、とまず思った。いや、違う。なにしろ、それほどの荘厳 さはここ奥の院にはない。ははぁそうか、おじさんは間違ったのだ。手提げかばんにTシャツ姿でさっそうと登ってくる坊主男を、出勤してくるこの奥の院の住 職と。実は登りで遭遇し軽く追い抜いてやったハンチング帽野郎だとはつゆ気付かずに。そういうことなら、道をあけてくれたとき、軽く合掌でもしながら通れ ば完璧だったなぁと奥の院からの景色を眺めながら思う。子供のころ、かくれんぼの際、友達と服をとりかえっこして鬼の目をくらませたことを思い出す。今回は帽子までついている。ハンチング帽の下に坊主頭が隠れていたとはおじさんもつゆ思わなかったろう。


 下りでは多数の夫婦連れとすれ違った。いろんな夫婦がいる。怒ってるかのごとく足早に登って来るダンナのあとを、眉をしかめて辛そうについてくる奥さん。 仲良さそうに手をつないで登ってくる夫婦。石段に腰を下ろし、木漏れ日を見上げてにっこりし合う夫婦、同じく石段に腰を下ろしてはいるが放心状態の無言夫 婦。ある組は、中年女性が石段の途中で立ち尽くしていてどうしたかと思うと、「あの蝶ちょ、弱ってる」と傍らをふらふら飛行する蝶を指差している。その肩 をやさしく抱くご主人。微笑ましくも勝手にせい、と思いつつすれ違う。あと、プードルがよちよち石段を登ってきたかと思うと、そのすぐあとをテニスウェア のような出でたちの淡谷のり子似のおばさんが続いてきて、今度はおじさんならぬ僕が思わず道をあけた。なお、五大堂でへたばっていたおばあさんは中腹の社 で別のおばあさんとなにやら話し込んでいた。孫娘は見放して一人で登って行ったらしい。

 下山して、帰りの電車にはまだ少し時間があった。名物のこんにゃく串(一本100円)にからしを塗ってもらって食べる。これがしみじみ美味しかった。山を往復し、こんにゃくまで食べることが出来た。来てよかった山寺。もう来なくてもいいけど。