残念な11月

 

11月は文化祭の季節、過去に僕は舞台で二度演じたことがある。


ひとつは、幼稚園年長のときの学芸会。年中のときに声がよく通るという理由で送辞を読んだ勢いで、僕は紫組の劇「裸の王様」の王様役に抜擢された。主役なのでセリフが結構たくさんある。ただ間違わないようにと、カラカラと抑揚のない言い回しでセリフを連ねるだけの暗記朗読劇だった。客(幼稚園児とその父兄)に劇が受けているのかどうかも分からない、はっきり覚えているのは、劇のフィナーレ、市民会館(けっこういいハコだ!)の客席の通路を舞台から降りた裸の王様一行が行進して退場していく場面でのこと。やれやれ終わった、と安堵しつつ通路を歩いていると、通路そばの席で見ていた子から「肌色のバッチはいてる」という声が聞こえ、はじかれたように笑いが起こった。初冬の季節、ほんとうに裸で演じるわけにはいかず、僕は上下下着姿で演じていたのだ。肌色のパッチをはいた王様は客席の笑いに送られて通路を退場していったのだった。


もうひとつは、高校三年のときの文化祭、三年二組の舞台劇「マクベス」。僕は王子様役を演じた。悪党一味に取り囲まれ、胸ぐらを掴れぐいぐい揺さぶられてから、剣で腹を突かれ死んでしまうまでのシーンを、赤いチョッキに白いハイソックス姿で、それはそれは真剣に演じた。が、胸ぐらをつかまれたときにクスッという声が体育館のどこからか聞こえ、ううっと舞台に倒れこんだ時にはそれがかなりの笑い声となった。こんなに真剣に演じて、なんで笑われなあかんねん!と僕は心外な気持ちで舞台に突っ伏していた。
 
笑いが起こるのはどういうときか。
それは、その人が笑わそうとしていないとき、だ。本人はまるごと真剣にやっているけれども滑稽、という場合に笑いが起こる。テレビでは、そういう場面に際し、それはすべってるで、と誰かが指摘して視聴者は共感してドッと受ける。この「ああ、これはやっぱり笑ってもいいんや」という共感は、舞台では客の誰かが最初にクスッと笑う、ということがきっかけとなり、それが拡がって大きな笑いにつながる。あくまで本人が笑わそうと狙ってないときに限る。

笑う方はただおかしいので笑う。笑わそうとしてないのに笑われたほうには、ちくっとした残念な思い出が残る。それにしても、肌色のパッチの王様やテンパった赤いチョッキの王子様、僕自身、今それを見たら多分笑うだろう。