記憶の棘 04年アメリカ

     未亡人ニコール・キッドマンの前に、10年前に亡くなった旦那の生まれ変わりと自ら名乗る男の子(推定11歳)が、突然現れる。それも二コールがやっとふっきれて再婚しようとしているときに。でもって再婚するな!と強硬に主張するのだ。最初は全くとりあわなかったニコールも、元旦那しか知りえないようなことをその男子がペラペラしゃべるのを聞くにつけ、だんだん信じざるをえなくなり、ついには心からその男子を・・・、という内容。


 男子は表情がいつも凍ったようにミステリアス、一方、ニコールの再婚予定のフィアンセといえば、悪党面で性悪そうだが性的に強そう。この映画の良いところは、この二人の男(子どもと大人なのだがいちおうニコールをめぐってのライバル関係)には感情移入がぜんぜんできないという点。そうすることによりニコールの内面に観客を注目集中させる、いう演出側の戦略がまんまと成功というわけだ。


 印象的なシーンがある。男子の登場と言動に激しく動揺したニコールがフィアンセとの約束でなんとか音楽会にたどりつき、とりあえずは客席に着く。さぁ、そこからニコール一世一代の顔芸が始まる。画面に大写しのニコールは動揺、懐疑、興奮といった要素を爆発的に表現するのだが、このシーンがまた長い!ニコールの顔の各パーツをひとつひとつ眺め、顔の全体像を眺め、さらにまた各パーツをおさらいするかというぐらいの時間を見ている側に与えておいて、さぁ横の席のフィアンセが耳元で話しかけるとニコールはびくっ!となる。この一連のシーン、実に味があった。


 さて、この坊主男子は実はあることがきっかけで、ニコールと元旦那に関する情報を入手、元旦那にしか知りえないことをちゃっかり学習していたのだが、これには元旦那の愛人女の行動が微妙に絡んでいる。この愛人女が坊主男子を密室で問い詰めるところも、この映画のみどころ。この愛人目線で映画を再構築してみてもおもしろそう。


 一方、この映画における被害者というべき悪党面のフィアンセだが、男子にうしろから小さく何度も椅子をけられたことで、ついにきれてしまうが、確かに椅子を蹴るという子どもならではの小さないやがらせには腹がたつなぁ、と、このときばかりは悪党面のフィアンセにも同情した。激昂したフィアンセは男子をひっつかまえて別室へと向かった。もしや高層階の窓から放り投げるのか?!とハラハラしたがはたして!男の子を尻たたきしてるフィアンセを見てほっと安心。 


 それにしても坊主男子は映画中、まったく笑わないのだが、ラストシーンでニコールへの謝罪の手紙(もうつきまといません)を読み上げられる中で、一瞬微笑を見せる。子どものおふざけ的いい話で終わるのかと思ったが、ニコールはこの男子を元旦那の生まれ変わりとの思いをなお抱き続け、錯乱状態の中、映画は終わる。


 結論。この男子は生まれ変わりだと思う。