猟奇的な彼女(01年韓国)

韓国語にケンチャナヨというという言葉がある。大丈夫だよ、という意味だが、この言葉を聞くと、反射的に富山在住の従兄弟のケンちゃんを思いだす。「ケンちゃんだよ」と聞こえるのだ。そしてこのケンちゃんはある韓国男優に似ていて、その男優がヒロインの相手役キョヌとして出演している映画こそ「猟奇的な彼女」なのだ。


僕はこの映画にそれはいたく惹かれ、韓国に興味を持った。どうしてそれほどこの映画に惹かれたかというと、テンポのよいストーリーと、主演のチョン・ジヒョンの可憐さもあるが、ある言葉の威力がある。それは「ミヤネー」だ。ごめんね、の意。死んだ前の恋人がどうしても忘れられず、遠い岩の上までケンちゃんに行くよう命令し、到着したのを確認するや、いきなり「キョヌ~、ミヤネー!」と「ヤッホー」のポーズで泣き叫ぶヒロイン。いつも強気なヒロインが見せるけなげさに意表を突かれぐっとくる。ミヤネーという語感もかわいらしくて、謝意が素直に伝わってくる。それに、このボーイフレンドはキョヌといい、ぼくはキョウイチだから、ちょっと自分が呼ばれている気にもなる。

ヒロインが、少女と大人の女、勝気と弱気な表情をそこらじゅうに撒き散らしながら物語は進み、さぁラストシーンがやってくる。制服に身をつつんだヒロインとケンちゃんがクラブに入り身分証を差し出すシーン。ここで画面は静止し、くさ~いエンディングバラードがインしてくるが、これがいつも泣ける。泣くココロをつき詰めていくと、若いっていいな、という気持ちにたどり着く。


この映画にすっかりやれられた僕は、冬ソナにやられたおばさんみたくソウルに行って、ロケ地のプテチゲ屋やケンちゃんが通うヨンセ大学を見てきた。プテチゲ屋は映画に出てくる主人がそのままいて、ラーメン&ソーセージ鍋であるプテチゲを運んできてくれた。ヨンセ大学は緑がいっぱいの実に素敵な大学で、僕が今受験生だったら、進学を真剣に目指したと思う。

買い物天国の雑多な街だと想像していたソウルは、山が背景にあり、大きな河が流れ、意外なほど風水的に気持ちがいいところで、食べ物はヘルシーで安くて、人々には活気があり、メガネがむちゃくちゃ安く、あげパンはとてもおいしく、以来、金浦空港から電車で20分で行けるソウルに立て続けに行くことになる。地下鉄の車内の幅が日本よりはるかにゆったりしていて、これなら映画にも出てくる軍隊の行進もできるな、と頷けた。車内に立っている老人など皆無で、年配の人を大事にすることがあたり前になっているのもいいと思った。それに、両親が育ち、ケンちゃんの住む富山と韓国語は語尾のアクセントが似ていることもあってか、言葉にもなにか親しみを感じる。

 

ちなみにこの映画の英題は「My Sassy Girl」。Sassyとは、生意気な、女性が男性の気を引くようにふるまう、かっこいい、などの意味があるそうで、なるほどと思うが、ここに猟奇的という言葉を持ってきたのがすごい。珍しい邦題大ヒットの例だ。そして、最後までヒロインの名前はでてこない。つまり名前を呼ばれるシーンがなく、「彼女」のまま。これも洒落てると思う。


さて、結局ヒロインは、死んだ恋人の「従兄弟である」ケンちゃんと結ばれる(であろう)ことになるが、ということは死んだ恋人とはこの僕になる。つまりは僕および親族にどうやっても縁のある映画なわけで、いたく惹かれるのもむべなるかなである。